「太々(ふてぶて)しいにもほどがある」
遅ればせながら新年あけましておめでとうございます。
新年の挨拶に書かせていただく文章には毎年頭を悩ませます。あれやこれや考えて書きますがあまり当たり障りないことを書いても仕方がないし。
話題となった「不適切にもほどがある」、通称『ふてほど』、皆さんは見たことありますか??リアルタイムで放送されていた時は「見たくても見るのが怖いドラマ」でした。このドラマを知ったとき、昔の自分を否定されたり、時代に流されている自分を否定されそうで、ドラマを見るのが少し怖かったのです。
自分は昭和生まれで平成育ち。ドラマで描かれているような世界で育ってきました。〇〇ハラだ、コンプライアンスだ、モラルがどうだといったものが求められる時代には少々生きづらさを感じます。しかし、立場上そういった時代の流れにも乗っていかないといけないと現実を考えることもあります。立場のせいにしているわけではありませんが、不適切な人間、島田でさえ時代の波にはなかなか逆らえないものです。
しかし、実際に見てみると、昭和や令和を否定しているわけではなく、「寛容になろう」という話でとても心に刺さる内容でした。昭和は多様性に欠けて役割や慣習、伝統に固執し柔軟性がなく寛容性がなかった。令和は多様性の追求が過剰になり、コンプライアンスやモラルを重視するあまり寛容性がなくなってしまった。寛容性のポイントは違いますがどちらも生きづらい世の中に思えます。昭和、平成で育ち今を生きている島田はどっちも理解できずずっとモヤモヤ。それがどっちつかずで自分らしくないと思い、ますますモヤモヤ。寛容になることが善で、自分も寛容になろうと常々思っているものの、寛容でいることを強いられ不寛容でいることを認められない状況になることもありました。
2040年ではこうなっています。
支援会議は人が集まってやるのではなく、AIが要点をまとめて皆に指示を出している。困っていることや課題なんて全部機械が整理して最適な教育や支援を考えている。脳についている機械が体や心、環境の変化をとらえて、考えていることや思っていることが全て勝手に伝わる、伝えてくれる。「移動支援」なんてなくなって、自動運転で好きな場所に不自由なく行ける。食事も個別に適切な栄養が考えられ、介助やお風呂、お手洗いも全て機械で全自動。学校や教育、医療も福祉も全て情報管理AI化され個別のプログラムや治療が全員に完璧に割り当てられる。悩み事や相談対応は全てAI。AIプランナー、AI先生、AIドクター。AI行政。AI支援者。地域には機械化された施設や資源が豊富にあって、いつでもどこでも365日その時必要な支援がすぐに提供される。そもそも「障がい」という概念がない。当事者会って何?親の会って何?合理的配慮?助けてって言っちゃだめなんです。困っているって言っちゃだめなんです。完璧なんです。
現代のあれやこれに疲れていれば一見良さそうな世の中かと思いますが…。
そんな社会「気持ち悪りい」ですよね。
そんな未来のために頑張ってきたんじゃありません。どんな時代でも、その時代(過去や未来)から見ればとんでもねぇ不適切な時代だなぁと思うのが世の中。令和だって未来から見ればだいぶ不適切で気持ち悪りい。でも、そこで生きる私たちは文句を言いながらも助け合い、要領が悪くても、目の前のことに懸命になり、自分の使命をうっすら悟り、毎日をそこそこ頑張って生きる、それこそが人生にとって大切なことであり幸せだということも考えさせられました。
変わるものの中から、変わらないものを探して大事にできる自分でありたいし、そういうSTARSをこれからも作っていく、必要に応じて柔軟にアプデしていきたいと強く思いました。
どんな困難があろうとも、苦難があろうとも、歯を食いしばって「はいよろこんで」と強がっていきたい島田です。だからこそ2025年も引き続き特定非営利活動法人STARSをどうぞよろしくお願いいたします。
2040年 1月吉日
理事長 島田 雄太
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